「近代能楽集より『葵上・卒塔婆小町』」

美輪明宏
「近代能楽集より
葵上あおいのうえ卒塔婆小町そとばこまち』」

天才が私に託した、「頼むよ」って伝言のような気がする

1950年に発表された三島由紀夫の「近代能楽集」は、能・謡曲を現代的に翻案した短編戯曲集だ。そのうちの2編、「葵上」と「卒塔婆小町」をまとめた美輪明宏主演・演出版「近代能楽集より『葵上・卒塔婆小町』」は、1996年に初演。その後上演を重ね、このたび7年ぶり5回目の上演を、3~4月の東京・新国立劇場 中劇場公演を皮切りに全国8都市で行う。三島のソリッドかつ流麗で無駄のない、彫刻のようなセリフに加え、異形の者を演じる難解さやダンスシーンなど、ハードな要素をいくつも含む本作に、「これが最後になるかもしれない」と語る美輪が込める思いとは? インタビューと稽古場レポートから迫る。

取材・文 / 熊井玲
撮影 / 御堂義乘

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「近代能楽集より『葵上・卒塔婆小町』」
公演情報
  • 2017年3月26日(日)~4月16日(日)
    東京都 新国立劇場 中劇場
  • 2017年4月23日(日)
    宮城県 イズミティ21 大ホール
  • 2017年4月26日(水)
    静岡県 アクトシティ浜松 大ホール
  • 2017年4月28日(金)
    愛知県 愛知県芸術劇場 大ホール
  • 2017年5月4日(木・祝)
    長野県 まつもと市民芸術館 主ホール
  • 2017年5月11日(木)
    福岡県 福岡市民会館
  • 2017年5月18日(木)~21日(日)
    大阪府 梅田芸術劇場 シアター・ドラマシティ
  • 2017年5月29日(月)・30日(火)
    神奈川県 神奈川県民ホール 大ホール

作:三島由紀夫
演出・美術・主演:美輪明宏

キャスト

美輪明宏、木村彰吾 / 江上真悟、大野俊亮、小林永幸、真京孝行、大曽根徹、金井修、高田賢一、荻原謙太郎、長田拓郎、見雪太亮、城月美穂、高森由里子、小林佳織、迫水由季、越田樹麗、安達星来、今泉舞、志村ひかる、加茂智里

» 近代能楽集より 葵上・卒塔婆小町 | PARCO STAGE

美輪明宏インタビュー

「能楽集をやってくれ」と言われて

美輪明宏と三島由紀夫の関係を語るうえで、1968年に上演され大ヒットを記録した「黒蜥蜴」を外すことはできない。その前年である67年に、美輪は演劇実験室◎天井棧敷の旗揚げ作品「青森県のせむし男」、続いて「毛皮のマリー」に主演。その舞台を観た三島由紀夫が、興奮して美輪の元を訪れた。

「ちょうど三島さんの作品を近くでやっていて、そのついでに私の芝居を観に来たんです。終演後に楽屋にいらして、『何を興奮してらっしゃるの?』と聞いたら、『俺の黒蜥蜴をやってくれたまえ』と。でもあれは京マチ子さんが映画でおやりになって、大女優の水谷八重子さんもおやりになったものだから、それを私がやっても成功すると思えません、とお話したんですね。ただ、それまでの三島さんの舞台って、実はあまりお客が入ってなくて、三島さんはそれが悔しいとおっしゃってたんです。そのお気持ちがよくわかったので、私でよければ、と『黒蜥蜴』をお引き受けしました」

果たして、美輪主演版「黒蜥蜴」は大成功を収め、1968年には深作欣二監督で映画化も実現。それを機に美輪はニューヨークやパリなど、海外でも高く評価されるようになった。

「そのあと、今度は『能楽集をやってくれ』と言ったんです。ただ能楽集は短編だから、大劇場向きではないんですね。それもあって最初は無理じゃないかと思ったのですが、お話する中で『葵上』と『卒塔婆小町』だったら、ということになって。『卒塔婆小町』は、終戦後に文学座アトリエ公演でやられて、そのあともいろいろな方がおやりになっているんですけど、一般の観客には少しハードルが高かった。それを私も観ていたので、三島さんに“プロポーズ”されたとき、『ただし演出プランは私が立てます』って言いました。すると『どういうプランか聞かせてくれ』と」

「葵上」より。

「葵上」より。

そこで美輪は、「卒塔婆小町」では映画「ジェニーの肖像」に出てくる不思議な公園のイメージを取り入れること、「葵上」では装置をサルバドール・ダリと尾形光琳のミックスにして、音楽は武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」を使いたいこと、また女王が詩人に惚れて詩人の妻を取り殺す、ジャン・コクトーの映画「オルフェ」との共通点を感じることなどを語った。

「そうしたら『なーんだ、君、全部できてるじゃないか』と三島さんがおっしゃって、松竹に連絡するからすぐ取り掛かってくれたまえと言われたんです」

しかし1970年に三島は死去。その翌年、三島の1周忌に合わせて、渋谷・ジァンジァンにて「葵上」のみが上演され、96年にようやく三島に美輪が話した演出プランで「近代能楽集より『葵上・卒塔婆小町』」の上演が実現したのだった。

「『卒塔婆小町』は公園が舞台のお話だから、上演する場所が難しいと思っていた。でも私の中では、ずっとこの作品のことが渦巻いていたんです。そのときちょうどPARCOさんからお話があり、私がずっと温めてきた通りのものをということになって、演出、美術、音楽、照明、衣装も何から何まで全部自分が好きなようにやらせてもらいました」

「卒塔婆小町」より。

「卒塔婆小町」より。

美輪の美的センスと的確な演出により立ち上げられた本作は好評を博し、その後1998年、2002年、10年と上演を重ねた。そして、今回が7年ぶりの上演となる。

「昨年、寺山の『毛皮のマリー』をやったでしょう? なので三島さん、ねたんでるだろうと(笑)。両天才に敬意を表して今回は『近代能楽集』をやることにしました。2人とも天才でしたね、ライバル同士だったけれどお互いに尊敬してました。その天才2人に望まれる役者だったということは本当にありがたいと思います」

美しく生まれた者にはツケがある

「葵上」は、「源氏物語」の「葵」の巻をもとにした世阿弥の能。光源氏は、物怪で床に伏せっている正室・葵上を見舞う。すると葵上に取り憑いていたのはかつて源氏の愛人だった六条御息所の生き霊で……。「近代能楽集」では深夜の病室を舞台に、病に苦しむ葵と見舞いにやってきた若林光、そこに突如現れる六条康子の物語として描かれる。

一方「卒塔婆小町」は観阿弥による能楽「卒都婆小町」が原作。高野山の僧が出会った物乞いの老女は、間も無く百歳を迎えるかつての美女・小野小町だった。彼女には百夜通いの途中で死んだ、深草四位少将の怨霊が取り憑いていて……。「近代能楽集」では、深夜の公園で吸い殻拾いをする老女と詩人の物語として描き出される。

一見すると難解そうな両作だが、美輪は「どちらも不倫の話。何も驚くことはありません。源氏物語もギリシャ悲劇も近松ものも不倫だらけだし、今も不倫だらけでしょ?」と一笑する。

「『葵上』の六条康子はお能でも三島さんの作品でも、ただの怨霊としてしつこく重たい女に描かれているけれど原作ではそうじゃない。六条はもとは皇太子妃で、でも未亡人になり貧乏になってしまった。それを時の権力者である左大臣の娘・葵上に、祭りの場所取りをめぐって虐げられ、泣く泣く帰るわけです。葵上は恨まれてもしょうがないことをやっている。そんなある日、六条は自分の十二単から護摩の匂いがすることに気付いて、ひょっとしたら葵上に取り憑いている物怪は私じゃないかしらと疑い始め、愕然として泣き崩れるんです。六条は、ただの嫌な女ではなく、覚醒しているときにはちゃんとした心優しい女なのです。私はそこを残して演じようと思っています。それじゃないと六条も浮かばれまいと思っているんです(笑)」

一般的な解釈とは少し異なる、葵上と六条に対する美輪の目線。その根底にあるのは、「正負の法則」を踏まえた、美輪の一貫した人生観だ。

「葵上」より。

「葵上」より。

「六条にしても小町にしても、美しく生まれついた者は、ちゃんとそれだけのツケは払わないといけないようになっている。若いときはいいんです、ちやほやされて。でもある程度の年齢になったら誰もが横一列。そうなったときに、美しく生まれたついた者は、それ以前との落差が大きいわけです。小町のセリフにある『美しいという言葉には呪いが。それを仰言ったら命がないわ』というのは、まさにそのことです。正負の法則が本当にあるのです。かつて世界的スターと言われたヴィヴィアン・リーやマリリン・モンロー、マイケル・ジャクソンやエルビス・プレスリー、スティーブ・ジョブズだって孤独死や壮絶な死に方をしています。何事も腹六分目、浮いたり沈んだり、低空飛行したほうがいいのです(笑)。そういったいろいろな問題が、この作品のセリフにはすべて書かれています」

「近代能楽集より『葵上・卒塔婆小町』」は、初演から今年で21年。上演を重ね、さらなるブラッシュアップが期待されるが、80代を迎えた美輪は、出演にプレッシャーを感じることもあるという。

「高いハイヒールを履いたり、早替わりのための重たい衣裳を着たり……。体力的にも大変なんです。だからこれが最後になるかもしれない」

その一方で、作品への責任も感じている。

「普通80歳を過ぎたら養老院に入ってるか家でじっとしてるかでしょうけど、普通にスタスタ歩けますし、シワもできないし、セリフも出てきます。なんだか天才たちが私に託した、『頼むよ』っていう伝言みたいな気がします。そのせいか、数年前に手を粉砕骨折して、一生手が使えないと言われたときも4カ月で治せた。そんな奇跡もありますし……」

そう言って美輪は、怪我した右手を掲げてみせる。その手は、確かにシミ1つない“白魚のような手”だった。まさに現代の六条か小町か。そんな美輪が、人を愛し愛されるがゆえに人ではなくなった、悲しき女たちを演じる。2017年版「近代能楽集」を、ぜひ劇場で目撃したい。