かさなる視点「城塞」「マリアの首」PR

「かさなる視点」宮田慶子&上村聡史「城塞」 / 小川絵梨子「マリアの首」

「かさなる視点」宮田慶子&上村聡史「城塞」 / 小川絵梨子「マリアの首」

世界と自分の結びつきを、演出家たちの舵取りで感じ取って

30代の演出家3名が戦後日本を象徴する3戯曲に挑む、新国立劇場の「かさなる視点-日本戯曲の力-」シリーズ。3月に上演された谷賢一演出×三島由紀夫作「白蟻の巣」(参照:新国立劇場「かさなる視点」第1弾、三島由紀夫×谷賢一「白蟻の巣」が開幕)に続き、4月には上村聡史演出×安部公房作「城塞」、5月には小川絵梨子演出×田中千禾夫作「マリアの首-幻に長崎を想う曲-」が上演される。ステージナタリーでは、本シリーズの企画者・演劇部門芸術監督の宮田慶子と上村のインタビューを軸に、時代を超えた、作家、演出家、観客の“かさなる視点”に迫る。

取材・文 / 熊井玲
撮影 / 金井尭子

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かさなる視点―日本戯曲の力― Vol.2
「城塞」
「城塞」

2017年4月13日(木)~30日(日)
東京都 新国立劇場 小劇場

作:安部公房
演出:上村聡史
出演:山西惇、椿真由美、松岡依都美、たかお鷹、辻萬長

かさなる視点―日本戯曲の力― Vol.3
「マリアの首 -幻に長崎を想う曲-」
「マリアの首 -幻に長崎を想う曲-」

2017年5月10日(水)~28日(日)
東京都 新国立劇場 小劇場 THE PIT

作:田中千禾夫
演出:小川絵梨子
出演:鈴木杏、伊勢佳世、峯村リエ、山野史人、谷川昭一朗、斉藤直樹、亀田佳明、チョウ ヨンホ、西岡未央、岡崎さつき

「城塞」
上村聡史&宮田慶子
インタビュー

時代と切り結ぶ作品を

──新国立劇場と上村さんと言えば、アクチュアリティに満ちた演出が高く評価された「アルトナの幽閉者」(2014年)が記憶に新しいところですが、まずは今回、宮田さんが「かさなる視点」シリーズの演出家の1人として上村さんを選出された理由から伺えますか?

宮田慶子 上村さんは「アルトナ~」をはじめ、先日再演された「炎 アンサンディ」などいろいろな話題作を手がけられていて、30代と言うより演出家界で今勢いのある方だと思っています。ただ上村さんも普段は翻訳劇をやられることが多いですし、日本の演劇界では近現代の既成の日本戯曲はなかなかやられません。でもその中にも素晴らしい作品があって、そういうものにこそ出会ってもらいたいなと思ってお誘いしたんです。

上村聡史 作品選びの中で、この演劇の国立劇場で何をしたいかを念頭に置きました。日本という国で生きているうえで、心地よく感じる自分とちょっと息苦しく感じている自分がいて。オリンピック前のグローバルな価値観と、日本的なローカルな価値観の軋みを感じます。それと同じような感覚が、1950年から60年くらいの戯曲には内在していると思いました。戦後民主主義の矛盾といいますか。また、見世物としての演劇であるとともに、社会を映す鏡となる作品をこの劇場で取り組めたらという思いがありまして、大きなテーマとして戦後の日本と対峙してみたい、というお話を宮田さんにしました。社会や時代を批評するというとおこがましいんですが、でもそういったことをダイレクトにやってみたいと。それでいくつか候補作を挙げた中で、こんなとんでもない作品をやらせていただけることになりまして(笑)。

宮田 途中、まったく違う戯曲に目が行ったりもしましたけど(笑)、結局上村さんらしいなって作品に落ち着いたと思います。上村さんは、演劇だけじゃなく時代と切り結ぶような作品に食指が動かれるんですよね。だからやっぱり「城塞」になったなって。

宮田慶子

宮田慶子

──「城塞」は、とある邸宅の広間を舞台に、“拒絶症”によって自分の中の時間を止めてしまった戦争成金の父と、17年前の“ある日”にこだわり続ける男が、従僕や妻、ストリッパーの若い女を巻き込んで、そのある日を再現します。

上村 「城塞」に惹かれたのは、安部公房の作家性より作品性のほうで。どちらかというとこの先も僕は、安部公房はそんなにやらないだろうなと思うんですね。この作品を読んだのも、安部公房の作品だからというより、俳優座で千田是也さんが演出されている作品だということが足がかりになったので。で、「ズバリ今だよね」ということがここには書かれていた。直視せざるをえない状況に、あえて目を向けない姿勢、それこそ“日本人”の性格を捉えているんじゃないかと。1962年、昭和37年の作品ではありますが、今もダイレクトに響いてくる作品ですよね。そこが、自分が作品を立ち上げる上でのエネルギーになるなと思ったんです。

宮田 劇中劇を含んだ戯曲の二重構造と、もう一方で、父親が満州から引き上げてきたことや親子の関係のすごさといったもう少しテーマ主義的なこととがありますが、その両方に惹かれたんですか?

上村 そうですね。最初はどちらかと言うとテーマへの興味から入っていったんですけど、やっぱりこの二重構造がポイントにはなっていて、過去に起きた現実が嘘になり、欺瞞だらけの今が真実になる。もしくは、その逆かな。“今を生きつつも過去に殺されていく”、戯曲の奥行きを感じました。そのように嘘と真実、現実と過去が交差する作品は今やっても説得力がありますし、批評性が高いなと思います。

宮田 よく戦前と戦後の日本戯曲を比較して、セリフ構造の上で何が一番違うかというと、戦前はセリフが文字通りの意味を持っていた時代で、戦後は行間に別の意味が隠されているサブテキストの時代に変わったと言われますよね。つまり、戦後戯曲のセリフは決して文字通りのことを言っているわけではなく、さらに現代演劇は今やそれが当たり前になっていて、私たち演出家はいかにそれを逆手にとって、本音を入れたり裏を入れたりってことをやるか、という作業になっている。安部公房をはじめ、終戦を経験した年代の作家たちは、まさにそういった“言葉が持っていたはずの真実が何も通用しなくなった”という喪失感を抱えていますよね。なのに“でも自分たちは傷付いたりしていない”って思うことで、欺瞞に次ぐ欺瞞と言うか、それからの日本は欺瞞の上塗り社会に変わっていった。それが見事に構造として使われているのが「城塞」の世界だと思うんですね……と、作品の構造的には難解かもしれないけれど、やる分には面白いですよね(笑)。だって俳優として、嘘と知りながらのうのうと嘘が演じられるんだもの。

上村 そうですね。「わからないよ、安部先生!これどういうことなんだ?」って言いながら、稽古場では僕も含めて皆で試行錯誤しています。作家が書いた言葉をどう自分の言葉として獲得し、凌駕するか。それこそ現場の楽しみなので。ベテランの辻萬長さん(「辻」のしんにょうは一点しんにょう)もたかお鷹さんも熱いですよ。安部公房は2人よりちょっと先輩ではあるんですけど、お2人の青春時代の作家だったりするので当時の感覚を知っている。そのエネルギーに付いていきたいと思うし、どんどん排他的になっていく今の社会風潮に対してどういう風穴が開けられるのかを考えていて。