小竹正人「あの日、あの曲、あの人は」PR

小竹正人

小竹正人

LDH所属アーティストとの絆が産んだ、珠玉の言葉たち

EXILE、三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE、E-girlsなどのLDH所属アーティストをはじめ、小泉今日子、中山美穂、久保田利伸、中島美嘉、藤井フミヤといった多数の有名アーティストにもこれまで多くの楽曲を提供してきた作詞家、小竹正人。彼の珠玉のメッセージを厳選して3月に刊行された歌詞&エッセイ集「あの日、あの曲、あの人は」はたちまち重版が決まり、発売から2週間で6万部を突破するなど大きな話題を呼んだ。

自身も作家としてLDHに所属する小竹は普段から同事務所アーティストとの距離感が近く、それが生かされた繊細な歌詞は高い評価を獲得している。音楽ナタリーでは今回、そんな彼に歌詞&エッセイ集のヒットを記念してインタビューを実施。彼が作詞家になるまでのヒストリーや創作への思い、親交のあるLDH所属アーティストとのエピソードまでじっくり語ってもらった。

取材・文 / 川倉由起子

  • 62

    36

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
小竹正人「あの日、あの曲、あの人は」
作家名「あの日、あの曲、あの人は」

2017年3月29日発売
648円 / 幻冬舎

Amazon.co.jp

私というクッションを挟まずに歌詞の世界に入ってほしい

──LDH所属アーティストの作詞を数多く手がける小竹さん。今やそのファンの間でも知らない人はいない存在になっていますよね。

名前だけはそうなのかもしれません(笑)。

──小竹さんのことを知りたくて検索する人も多いと思うのですが、SNSも開設されていないし、年齢やお写真も公開していなくて。これはどうしてなんですか?

やっぱり、私というクッションを挟まないで歌詞の世界に入ってもらいたいからですかね。例えば三代目J Soul Brothersの曲だったら、まるで今市隆二くんと登坂広臣くんが書いてるみたいに聴いてほしいので、そこに私の具体的なイメージが入ってくると世界観を邪魔しちゃうのかなと。

──そういう理由なんですね。普段もあまりメディアに出られないということで、今日は貴重ないインタビューになりそうです。小竹さんのことを知りたい方がたくさんいると思うので、いろいろ聞かせてください。

はい。なんでも聞いてください!

──まずは作詞家になるまでの道のりですが、子供の頃から音楽が好きだったんですか?

姉がすごい洋楽が好きで、私は日本の歌謡曲が好きで。小さいときは部屋が隣で、バランスよくその両方を聴いていましたね。

──当時から歌詞に注目して聴くこともあったり?

いやいや。私は自ら作詞家になろうと思ったことは一度もないんですよ。だから純粋に曲を聴いてただけです。ただ、歌詞とはちょっと違うかもしれないんですけど、小学校時代からノートに詞のようなものは書いていて。今見たら恥ずかしくて死んじゃうと思うんですけど、日々の感情とかをポエム調につづってましたね。

──昔から書くことは好きだったんですね。

今と違ってスマホもパソコンもなかったので、ただの日記をちょっと脚色して大人っぽく書いたり、10代後半でアメリカに留学したときもエアメールでの文通をいろんな人としてたり。そういうことを楽しんでいなかったら、たぶん、その後も書くことに興味が湧いてなかったと思います。

年800冊くらい小説やマンガを読んでいた

──アメリカにはどういうきっかけで留学したんですか?

中学生のときに、学校の交換留学生みたいな制度で1カ月アメリカに行ったことがあって。そのとき、他人にあまり干渉しないアメリカ人ってラクだなーと思ったんです(笑)。あと昔からアメリカ映画が好きで、その中の学園生活に憧れたのもありますね。

──アメリカではどんな生活をしていたんですか?

まずは英語学校に通ったんです。それまではみんなと同じように学校で習う程度の英語力だったんですが、もっと話せるようになりたいと思って。当時は今みたいに英語が話せる日本人が多くなかったし、英語は今後、絶対武器になると思ったんです。ホームステイ先でも、その家の長男とルームシェアをしてて、彼からもめちゃくちゃたくさん英語を学びました。

──結果的にトータルで10年ほどアメリカにいたそうですが、聞くところによると、作詞家になる最初のきっかけはその途中にあったそうですね。

夏休みに日本に帰国していたとき、知人の紹介でレコード会社の音楽ディレクターさんと出会って「英語ができるなら、この日本語の歌詞訳せる?」って言われて。そこからですね。「じゃあこれは?」「これもできる?」みたいにどんどん頼まれるようになって。

──最初は翻訳からだったんですね。

はい。だから当時は作詞してる感覚も全然なくて。ただの好奇心というか、経験値のためにやってました。さっきも言ったように当時はそんなに英語ができる人がいなかったから、重宝がられたんでしょうね。

──その後、翻訳ではなく作詞をするようになったのはどういう流れで?

狭い業界なんで、そのディレクターさんからいろんな音楽関係者につながっていって、あるとき「1曲まるまる英語の曲を書いてみて」って言われたんです。そしたら次は「英語と日本語を両方使ってみて」とか依頼の幅も広がっていって。昔から「できません」って言うのが嫌いだったから、いただいた仕事は基本受けてましたね。ちなみに今のようにコンスタントに仕事が舞い込むようになったのは完全に帰国してからなんですけど、日本に帰ってからは少し怠けた生活をしてた時期もあって、そのときは年800冊くらい小説やマンガを読んでました。その膨大な読書量が、今思えば言葉の貯蓄になってたのかなって思います。